32件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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小田原市議会 2022-02-16 02月16日-01号

歴史的風致維持向上計画では、板橋地区は、北条時代から続く寺社仏閣小田原用水江戸時代の旧街道の街なみ明治時代以降に建設された別邸など、時代の異なる資産が重層的に折り重なっている地域として位置づけております。本物件は、板橋地区別邸文化を支える、なりわい・職人文化歴史的価値を伝えていくため、情報発信、交流の拠点として活用していくという考え方に基づき購入するものでございます。 

小田原市議会 2020-09-17 09月17日-06号

また、小田原は、古くは北条時代、近代では益田鈍翁松永耳庵野崎幻庵といった小田原三茶人が茶道を極めた歴史もあります。歴史的建造物利活用として、茶道・茶の湯の文化と組み合わせる、またかつて、その建造物の中で繰り広げられていたであろう年中行事と組み合わせるというのは相性がいいかと思います。いずれ、インバウンド観光が回復してきたときに間に合うように、今からじっくり検討していただきたいです。 

小田原市議会 2016-06-28 06月28日-07号

建設予定地からは北条時代遺構も出ており、江戸時代だけでなく北条時代歴史も刻まれております。北条時代には全国から有為な人たちが集まり、まちをつくり、経済を発展させたと思います。ところが、新居氏や永田音響設計、そして専門委員長を務められた方も、失意のうちに小田原市との関係を絶っていかれてしまうのではないでしょうか。そうなれば非常に残念なことです。

小田原市議会 2016-03-02 03月02日-02号

また、御用米曲輪では、北条時代の重要な遺構が発見されたことを受けまして、今年度中にまとまる予定概要報告書による発掘調査成果を踏まえながら、江戸時代米蔵の跡と北条時代遺構を、どういう形で複合的に保存整備し見せていくか検討しているところであります。以上のように、御用米曲輪修景整備事業はおおむね順調に進んでいるものと考えています。 次に、住吉橋の耐用年数についてであります。

小田原市議会 2014-03-03 03月03日-04号

御用米曲輪につきましては、御指摘のとおり市民観光客等小田原城歴史的な変遷を理解してもらう上でも大変重要な北条時代遺構が確認されております。そこで、江戸時代米蔵の跡とあわせて、これらの遺構を生かしていく整備のあり方について、発掘調査成果を踏まえながら、文化庁や県とも協議し、史跡小田原城跡調査整備委員会に諮りながら、十分検討してまいりたいと考えております。 

小田原市議会 2014-02-28 02月28日-03号

御用米曲輪は、江戸時代遺構調査中に北条時代遺構が発見されたことで、見学会には延べ1000人以上もの参加者があるなど、市内外にかかわらず関心を持っていただき、調査終了後の整備への期待が高まっております。現状、発掘調査のスケジュールは見通せませんが、いずれ終了の時期が訪れる前に、異なった二つの重なり合ったこの貴重な史跡を、どのように保存活用しているか答えを出す必要があります。

小田原市議会 2013-03-05 03月05日-04号

今ある天守閣を膨大な資金を投じて木造として再建するよりは、御用米曲輪北条時代館跡、そして庭園周辺確認整備、さらには本丸周囲鉢巻状石垣と土塀や鉄門周辺整備、図書館や郷土文化館の移設など、もっと先に手がけるべき事業があるように思います。 そこで、市長にお伺いいたします。天守閣の再建はいつごろと想定しているのか、そしてその総費用はどのくらいと見込んでいるのかお聞かせください。 

小田原市議会 2013-03-04 03月04日-03号

また、小田原城は、本丸二の丸については江戸時代の姿、そして八幡山古郭・総構については北条時代の姿を残しており、それぞれこれを基本に整備する計画であると理解しておりますが、こうした整備方向市民観光客に理解してもらうための施策はどう考えているのか。例えば、史跡案内所のような場所整備についてどう考えているのか伺います。 

小田原市議会 2011-12-12 12月12日-06号

現在は安全上の観点から閉鎖いたしておりますが、北条時代の雄大な土塁が残っておりまして、また、石垣山一夜城相模湾などのすばらしい眺望を楽しめる場所でもありますことから、今年度中に安全さく設置等の暫定的な整備工事を行いまして、市民の皆さんや観光客などに開放していく予定でございます。 以上をもちまして、12番神永議員の御質問に対する答弁とさせていただきます。

小田原市議会 2011-09-14 09月14日-03号

北条時代には天守閣八幡山古郭、今の小田原高校あたりにあったと言われており、そして関八州を治めたのではないのですか。江戸時代、それから現在の天守閣は城内にあります。小田原は昔からこのお城を中心に栄えてきました。そこで私が言いたいのは、市民ホールコンベンション機能と併設してお城通り地区開発事業予定地に建設すべきだということです。

小田原市議会 2006-03-06 03月06日-04号

もちろん、演劇・コンサートホールをも含めた総合市民ホールとすべきであり、特に本市としては、歴史的にも大きな時代の流れとともに、北条時代から大久保時代を経て、今日の城下町小田原が存在しているのであって、中核をなすものは、長い歴史文化に培われた遺産を後世に伝える役目を持った施設であるべきものであろうと信じております。

小田原市議会 2005-09-15 09月15日-03号

それから市長は大外郭なり北条時代の総構の整備の話も言われていましたけれども、今の小田原城の高さからはそこは眺めることはできません。やはりある程度の高さがあって、そういった史跡が眺められるようにしないと、私は、この価値を高めること、歴史的景観も含めて大事にするけれども、人を集めてなおかつ歴史を振り返るということは、その高さというのは非常に重要だと思うわけです。

小田原市議会 2005-02-28 02月28日-04号

ところが、小田原城の本来の価値は、八幡山小峯の未整備状態にある北条時代遺構にあることが再三指摘されており、今日では行政のみならず、市民の間にもそのような認識が高まってきております。しかし、実はここで改めて指摘を受けるまでもなく、城址公園八幡山小峯は、行政においては古くより一体化とみなされていたものでした。

小田原市議会 2004-09-17 09月17日-04号

また、最近、歴史まち小田原の形成に深い関心を持つ市民団体は、9月6日に市長に提案した要望書、そして9月14日には各議員あてにその要望書の写しが回ったと思いますが、八幡山小峯北条時代城跡整備に当たって、市民観光客が、これが小田原歴史景観なのだ、これこそ戦国時代最高の城郭であるということを十分に堪能できる、そういうような景観整備の促進を求めておりますが、市民の視点に立った、当を得た提唱であるように

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